【海外就職 シンガポール】日系企業で働くYさん(女性・30代前半)
シンガポールの広告代理店で働くYさんに、オフィスを訪ねお話を伺いました。
●何故シンガポールで就職されましたか?
日本で出会い結婚した外国人(シンガポール人でない)の夫と話し合い、海外での生活を決断。
彼の日本以外のアジアでの経験をまだ積みたいという希望、そして二人で話し合った結果、安全であり英語が通じる国として、まずマレーシアを考えました。
現地で3ヶ月間就職活動をしたものの、夫の専門家としての職が決まらず、その間に旅行でシンガポールを訪れました。
それが転機となり、再検討した結果、それではシンガポールでは?と。
当地へ移動して来て、すぐに夫の仕事が決まった段階から私の就職活動が始まりました。
●入社した会社は日本企業ですか?
はい、現地で日本人が立ち上げたいわゆるベンチャー企業です。
●現在の仕事の内容について教えてください。
オフィスでのオペレーション業務、そしてイベント自体のオペレーションです。
●(そのお仕事の)経験はありましたか?
そのものの経験はありませんでしたが、日本での国際会議の運営代行会社での経験が生かされています。
●その前はどのような仕事をされていましたか?
先ほど申し上げました国際会議の運営業務、そしてブライダルコーディネーターです。
●就職が決まるまでの活動期間を教えてください。
半年強くらいです。
●ちょっと長く感じますが?
はい、夫が(シンガポール人でない)外国人ということで長期の就労ができないのではと、懸念されたこと。
また、自らの経験を生かした職種(営業でない)の求人が少なかったことがその原因だと思われます。
●シンガポールで働く為に必要なのは何と思われますか?
柔軟性なのではないでしょうか?
日本から来てこれはこうだろうと決めつけずに、ある意味受け入れるべきところは受け入れるといった・・・・・・。
あとは「がんばる」という気合です。
これは生活を持続させる為にも必要です。
よく一般的に言われる英語はこちらで学べるのでは、と思います。
●現在どのような資格をお持ちですか?
全米ブライダル、カラーコーディネーターの資格を持っています。
●過去に海外の経験はございますか?
高校を卒業後、イギリスに4年間留学をし、当地の大学を卒業しています。
●休日はどう過ごしていますか?
イーストコーストにサイクリングに行ったり、観光、家でゆっくりと。
友人とブランチに行ったりもします。
シンガポールは気軽にブランチが楽しめるのがいいですね。
●お住まいはどうされていますか?
夫婦でプライベート・アパートを借りて住んでいます。
●シンガポールのどこか好きですか?嫌いですか?
好きなところは、暖かいところ、人が親切なこと。
おいしいご飯が安いこと。
いろいろな人種の人と知り合いになれるところです。
そのベースにあるのは安全です。
安全と言うことが大前提としてあるので、安心して仕事に集中が出来る、人の親切を素直に受けることが出来る(東京の道ばた等で親切を受けると、ちょっと警戒してしまいます)行動の自由を制限されることもなく、いろいろな新しい経験に飛び込んで行けます。
嫌いなところはないのですが、不便なこととして捕まえたいときにタクシーがなかなかつかまらないのは困ります。
また残念に思うことは人への配慮が乏しいことです。
サービス業に関しても、ホスピタリティや相手を慮る事が少ないと感じます。
しかし、現在も発展中のシンガポールですから、この時期をある程度過ぎて、落ち着けば、そんな余裕も出てくるのかな、とみています。
●これからシンガポールで就職を考えている人へのアドバイスは何かございますか?
まずは軽い気持ちでシンガポールの水が合うかどうか、つまり生活できるかどうか来て見てみることが必要に思います。
生理的に合わなければ、その後に努力してもどうしようもないこともありますので。
そして、自分の人生において、ここで何をしなければならないのかを、次のステップとして考えること。
これは非常に重要です。
時間というものは、目的意識を持たないままにも、あっという間に過ぎていくものです。
私は夫とそういったことを色々と話し合い、ここシンガポールでの生活を始めました。
インタビューを終えて
物静かに淡々とお答えいただきましたYさん。
Yさんの、その中には10代の内に異文化に飛び込んで行ったという自信が伺えます。
うろたえない平常心、それが過去にもインタビューした方々の中でも長い半年という期間、就職活動を続けられた根気と粘り強さからも窺えます。
また、夫婦お互いの母国でない海外で働くということは、やはり(おっしゃっていたように)、 将来への明確な目的意識を持ち、今ここにいる意味を自覚すること、これが肝心なのかもしれません。
Yさんに日本人を感じたのは、生活の基盤が日本にない(この先も日本に戻らないかもしれない)自らが何人なのかを意識されているからでは?とも思えました。
(取材’10年3月)